死刑

初めて国家転覆を図ったという点でオウム真理教事件は他の追随を許さないほどの衝撃的な事件だった。

 
一連の事件で死刑判決を受けた13人の死刑囚の死刑が執行され、これで教団関係者190人の刑が執行されたこととなり、全ての法手続きが完了した。
 
自分が法務大臣だったら実行出来たであろうか?
 
全国に信者が未だ存在し、死刑執行による影響力も図り難い。
事実、関連性は不明だが爆破予告はあり、未遂に終わったものの、その動機は今回の死刑執行だったそうだ。
 
死刑を決定するのは時の法務大臣だ。
そして今回のような影響力が大きい死刑執行には一生SPがつくほどの覚悟がいるという。
過去の法相は死刑執行を意図的に避けていた向きもある。
おそらく上川法相は生涯オウム真理教関係者からマークされ続けるであろう。
しかし、上川法相も覚悟の上であったようだ。
法相就任の際、「為政清明」という大久保利通座右の銘で決意表明していた。
 
平成が終わるこの時期に、自らが何をすべきか考えに考え抜いた末に出した結論が13人の死刑執行だ。
 

 

 

「死刑執行」
 
死刑は国際的にはマイノリティである。
今回もEUから抗議文が届いた。
国際的には死刑制度は犯罪抑止効果はなく、前時代的で非人権的な制度だという。
 
私はそうは思わない。
 
社会的常識から逸脱した思想の持ち主は早々に社会から抹殺してしまうべきだというのが持論だ。
その手段として死刑は必要で、よって筆者自身は死刑制度に賛成である。
 
刑罰を決める際に重要なのは被害者の応報感情、更生可能性、再審不可逆性。

 

応報感情は被害者遺族が納得できるか。

死んでもらわないと絶対に許せないという被害者遺族がいる以上死刑は意味を持つ。

当事者ではない外野が生きて償うべきだと言っても当事者でないのならその主張は弱い。

 

更生可能性は罪を償い、社会に貢献できるか。

刑務所で罪を償ったという判断は誰がするのか、社会に出てももう犯罪を繰り返さないという判断は誰がするのか。

こと、死刑が考慮されるような凶悪犯罪の場合、加害者の思考には現実社会という仕組みでは残念ながらそぐわない何かが存在しているのであるから、更生など期待してはいけない。

 

再審不可逆性とは冤罪。

足利事件であったように冤罪だった場合、死刑にしてしまったらもう取り返しがつかない。

現在の捜査技術は過去の捜査技術より格段に向上してきているとはいえ、誤審を認めるわけではないが、人間がやる捜査や審判に一つも過誤がないなんてことはありえない。

だが、誤審を恐れるがゆえに死刑自体を廃止するということはあってはならない。

もちろん誤審を防ぐため最善の努力をする必要はあるが、可能性が拭えないからといって、生きさせておくなどというのは本末転倒。おかしな話だ。

 

死んで罪を償う。

いや、そこで償うようなやつは死刑判決されるほどの事件を起こさない。

 

最近は「死刑になりたかった」という理由で事件を起こす例すら存在し、一層死刑のあり方を複雑にしている。

それでも、この社会にそぐわないやつは抹殺していくというのが正しい基本姿勢だ。

そこに人権やらなんやらを挟む余地はもはやない。

なぜなら、この人間が作り出した社会のルール、常識、モラルこそが1番正しい正義なのだから。